未来師弟駄文(少年期)です!
2016年 03月 19日
少年期の未来師弟シリーズもいよいよ終盤へ…。
というか全く腐要素無い上、むっちゃ暗いのでご注意を。
※テレビスペシャルを元に書き進めましたが、多少違う(※主に捏造)部分もございますので、ご了承ください。
トランクスの覚醒とそのきっかけとは…それではどうぞ下へお進みくだされ。
少年———トランクスはこの頃、とみに思う。
悟飯は以前よりも自分たちの傍にいてくれるようになった、と。
幼かった頃と同じように読み書きを教えてくれる時間が増えた。
「ほらトランクス、おいで。今日は炒め物の作り方を教えるよ」
ブルマの手が空かない時、悟飯は子供のような顔でちょいちょいとトランクスを手招きし、簡単な調理法を伝授したりもした。
確かに———件の戦闘で左腕部の三分の二を負傷し、失ってしまった彼はより慎重になっていたし、弟子である自分を育成する事に集中していた。無闇矢鱈に敵前に赴いたところで勝機はあり得ないのと、戦力を拮抗させるにはまずトランクスの覚醒が不可欠だったからである。
だがしかし…そういった状況下に置かれているにもかかわらず、寧ろ悟飯青年は、ごくさりげない日常の中にとけ込み、それを慈しみ愛しているかのようだった。少年の母・ブルマの真横で入力作業を手伝い、かたやその合間にこまごまとした家事を行っては、午後にはトランクスの鍛練に付き添う。
無論、鍛練とは名ばかりのものではあったのだが———。
「怒れ!! もっと怒るんだ…その怒りが超サイヤ人にする!!」
その怒号とも云える悟飯の指導に、トランクスはそれこそ脳が白く焼き切れそうになるまで己を引っ張り、怒りを最大限にまで高めようとするのだが———出来なかった。
都の郊外にある草原は今まさに、突風によって揺らいでいる。
その根源は、小柄な少年ただひとり。彼が呻き、全身に『闘気』を纏った瞬間、あたかも彼自身が台風の目となったかのように空間に衝撃波を放っていく。
青々とした草が千切れんばかりと揺らいでいく中、そんな少年を見守る悟飯の髪と武道着もまた激しく波打ち、ばたばたと音をたてた。しかし弟子を見守る彼の強い眼差しは瞬く事さえ忘れ、黒曜石のように煌めいていた。
ぶわり、と舞う熱気に突き上げられながらトランクスは、思う。
《怒る……僕が……怒る理由……》
人造人間さえ現れなければ、父・ベジータは今頃生きていられた。
そして母・ブルマもまた…現状のような暮らしを強いられず、マシンオイルに塗れ地下シェルターでひっそりとした研究に明け暮れずに済んだやもしれぬし、自分もまた……もっと違った生き方を選べたのだろう、それはなんとなく分かってはいた。
《確かに、僕は……僕は、自分達の世界をこんなにしたあいつらが憎い……でも……我を忘れる程の怒りって、それは……それは…!?》
問いかけるべき相手は、堅い眼差しでこの自分を射抜くのみ。
怒りを覚えなくてはならないというのなら…その対象は…?
《悟飯さんの、左腕、は……あいつら、が……!!》
だがそれは…仇敵どもから悟飯を守る事すら適わなかった己の未熟さ、それが最大の原因。誰よりも近くにいながら、彼をこんな目にあわせた、足手纏いになったという事実は拭えない…。トランクスは首を振り、違う、と呟いた。
《違う……僕が、ついていかなければ、悟飯さんは、あんな目に遭わなくてすんだ……あの腕は、僕の、僕の……せいだ…》
もし、悟飯を助けるというのであれば———彼を盾にするなどという事態を避ける為にも、自分は『超サイヤ人』として覚醒しなくてはならない。
吐き気を伴う程の憤りを擬似的に紡ぎあげ、トランクスはあの悪夢を、悟飯が左腕を失ってしまった件の日を脳裏に浮かべ、ぎりっと歯を食いしばった。
《早く、早く、早く…っ……僕は……変わらなく、ちゃ……》
どうしてあいつらを倒せないのだ。どうして……、
《悟飯さん…は……あいつらを、倒したいんだ……だから僕を必要としてくれている…っ…! 僕は…僕は、》
その期待に応えなくては……義務を果たさなくては……。
決意の果て
「くそっ…! どうして『超サイヤ人』になれないんだ…」
トランクスは近くにあった石を崖下へと投げる。
それをすぐ横で眺める悟飯はゆっくりと空を仰ぎ、草の香りを深く吸い込むと弟子へと向き直り、ニコリと微笑んだ。
「まぁ焦るなトランクス。俺だって随分苦労したさ」
いきなり『我を忘れろ』だなんて無理だよな…と無邪気な笑みを見せる悟飯の優しさがこたえる。彼だって本当は一刻も早く仲間達の仇討ちを果たしたい筈なのだ。その足を引っ張っているのは他ならぬ自分であって…。
「…まぁそんな顔ばかりするなよ。キミはやっぱりベジータさんの息子だね、そういう顔していると本当に、よく似ている…」
「僕のとうさん……サイヤ人の王子、だったんでしょ?」
確か悟飯に聞かされた話によると、ベジータと悟空———悟飯の父親にあたる———は好敵手だったという。その関係と決着は、悟空の発病によって断たれたのだが、皮肉にもその息子達は師弟として深く結ばれていた。
「僕がもっと強かったら…とうさんみたいだったら…悟飯さんをもっと助けられる筈なのにな…。どうして僕はこんななんだろ…」
唇を尖らせ呟くトランクスを横目に、悟飯はふっと目を細める。
それにしても、澄んだ青空だ。午後から大雨が降るとの予報ではあったが、とてもそんな風には見えない程に青く、静かだった。
住み慣れた西の都を一望出来る崖の上、二人は流れる雲を眺めた。
なだらかな地表に悟飯は寝そべり、艶やかな両目を空へ向ける。
「…俺はね…仲間達や、ピッコロさんが殺されていくのを思い出していく内にキレて…それで『超サイヤ人』になった。でも、キミにはそんな……」
「悟飯さん?」
「…ううん、なんでもない」
言いかけた言葉を飲み込み、悟飯は表現を変えてトランクスへと告げる。キミにはベジータさんの血が流れている、だから絶対に超サイヤ人になれるよ———と。
「僕のとうさんも、人造人間に殺されちゃったんですよね?」
悟空さんも病気で死んじゃったし…と、つい弱気になって吐き出した己の言葉を止め、トランクスは悟飯へと向き直る。しかし悟飯はトランクスを罵る、或いは叱咤するでもなく、ただ穏やかに微笑して少年の頭を撫でた。
「トランクス。命には必ず始まりと終わりがある。でもなぁ、だからこそ生きている間の過程が大切なんじゃないかなって、俺は思うよ。…少なくとも、おとうさんやベジータさんは…己の人生を信念のままに突き進んでいた。いきなりの終わりを良しとしてはいなかっただろうけれど、俺は、あのふたりのように強く、誇り高く生きられたら本望だ」
「…僕のとうさん……そんなに誇り高いひとだったの?」
「ああ、とてもね」
「どんな人なんだろ、僕のとうさんって。早く会ってみたいな…」
いずれは完成するであろうブルマのタイムマシンに乗る日を夢見て頬を紅潮させるトランクスに、悟飯はプッと吹き出した。まだ気が早いぞ、と言い出しそうになるのを堪え『無理もないか…』と、かつての強敵の面差しを思い返す。
ベジータが最期に妻と息子の存在を砂粒ほどでも顧みたかどうかは、知る由もない。悟飯の知る限り、少なくともそういう男ではなかった———だからこそ今からトランクスが父親に幻滅しないかどうかが心配ではあった。
それもタイムマシンが完成すれば、の話である。
横たえた身を起こし、悟飯はトランクスに休憩をとろうか、と提案する。
「その前に、一旦ブルマさんの所に戻って昼食とろうか。今日は買出しするって言ってたから、いつもより美味しいものが食べられると思う」
「ほんと!? うわぁやったぁ!!」
美味しいもの、という言葉に飛び上がって歓喜するトランクスに、悟飯はまたあたたかな感情を覚え、己の内側を密かに灼く憎悪の焔を忘れる。何時だって途絶える事のなかった復讐心———宿敵の面ふたつ。あれらを思い出すだけで幾度我を見失いそうになったか知れやしない。
だが、この少年の純粋さと優しさ、雄々しさが矢張り幾度となく悟飯を包みあたためてくれた。小さくか弱かった赤子だった頃からずっと、孤独だった自分を支えてくれていて…今やこうして肩を並べている。
熱の記憶と、繋ぎ合った感触。
強く炯々としたトランクスの眼差しに見守られ到達した瞬間を思い起こし、悟飯は微かに頬を染めた。あってはならない、いずれ忘れなくてはならないものだとしても…今だけは、自分の胸の内で秘めておきたい。彼が望んだものを与えただけ、たったそれだけの事である。
———ドォー……ン……!!
突如の地響き、奔る閃光。
二人は立ち上がり、目前に広がる光と爆煙を睨み据えた。距離はとても近い。住み慣れた『西の都』が、燃えていた。空は紅い。
「悟飯さん……あ、あれ……!?」
狼狽え叫ぶトランクスの肩に、悟飯の汗ばんだ右手が添えられる。信じ難い、と云いたげに震えたそれが事態を示していた。
黒髪の青年はぎりり、と歯を食いしばると低く掠れた声で「あいつら…」と、憎悪を吐き出す。そして、
「人造人間め……!! とうとう、この都にまで……!!」
連続で鳴り響く爆音と光に、トランクスの鼓動は限界近くにまで昇りつめ、脳天から指先が痺れて固まった。この目前の出来事は一体、なんなのだろう? 果たしてこれは本当に現実なのだろうか…と。
「————クス、…トランクス…!!」
おそらく何度も呼ばれていたであろう己の名、師匠の呼び掛けに漸く反応したトランクスが見たのは…黄金の闘気を纏った、隻腕の戦士だった。
悟飯は未だ戦っていない状態にもかかわらず、溢れ出る気迫と闘志、冴え冴えと光る眼差しは、狼狽える少年を圧倒させた。けれど…はためく片袖にどうしても一抹の不安は隠せない。確かに、悟飯の身体は回復している。しかし、以前とはもう違う。…万全とは云えないその状態で挑めば、悟飯は…!
「トランクス、キミは此処にいるんだ!!」
師・悟飯の命令にトランクスは「嫌です!!」と返す。
「悟飯さん…そんな身体じゃ…」
犬死にするつもりですか———と言えぬのは、他ならぬ己の所為だと悟っているが故。けれどたった一人で、しかも片腕しかない状態で何が出来ると云うのか。父・ベジータも、悟飯の師父であるピッコロだって、五体満足の状態で、数人がかりで挑んで次々と殺されたではないか。
「…悟飯さん、お願いです…! 僕も一緒に連れて行って下さい!! 二人なら必ずあいつらを倒せます!! 今度こそ足手纏いになりませんから…お願いします、悟飯さん…っ…!!」
「トランクス!! 人造人間を甘くみるな!!」
怒号と共に、悟飯の全身は目映い光に包まれ…彼は黄金の戦士と化した。周囲で鳴り響く轟音と爆撃の最中に佇むその姿は、壮絶なまでに美しい。
翡翠色に変化した悟飯の両眸が、トランクスを射抜く。それでも怯む事無く少年はもう一度「お願いします…」と哀願する。
「お願いですから悟飯さん、僕を連れて行って下さい…! もう、足手纏いにはなりません…僕も悟飯さんと一緒に戦いたいんです……!!」
「……トランクス……」
「………」
またひとつ、爆音が響く。二人は暫し睨み合い、またその存在を愛おしくも思った。どちらも相手を守りたいと願っていた。
悟飯は、険しい面持ちの中に僅かな穏やかさを取り戻すとややあって「…わかった」と、低く囁く。
「わかったよ、トランクス。…一緒に、行こう」
黄金の戦士、師匠の悟飯がふっと口角を持ち上げ優しく了承してくれた。トランクスはすっかり気を緩め「…はいっ、悟飯さん!」と、真正面の爆撃へと視線を戻した。
悟飯が自分を認めてくれた…一緒に戦いさえすれば今度こそ勝てるやもしれない。そうしたら母・ブルマに頼んで、二人乗りのタイムマシンを作ってもらい、悟飯と共に過去の世界に行くのだ。
「さあ、行きましょう悟飯さ…っ………ぐっ…?!」
首筋に熱い衝撃を感じたトランクスは、前のめりに倒れ、意識を失った。
《トランクス……すまない》
———弟子に手刀を浴びせた悟飯の真意。
それは全滅を免れる為でもあったのだが、トランクスという少年の性質と実力を考慮に入れた上での『裏切り』であった。
《キミはきっと、自分の身を盾にしてでも俺を守ろうとするだろう。そんな気がしたから…》
件の戦闘で、自分が左腕を失ったのは…何もトランクスが未熟だったからではない。確かに、悟飯は彼を庇いはしたが、それによって腕を失ったのは自分の鍛練不足もあっただろう。もし仮に庇護する対象がトランクスではなく一般市民であったのならば、事態はもっと最悪な方向へ向かっていた筈である。
ただ、トランクスは、あからさまな態度を見せる真似はしないものの、細かい気配りで自分の身の回りを世話してくれていたし、うまく結べない帯を縛り、解いてくれたり、箸で食べにくいものはスプーンやフォークを置いてくれるといった、およそ十三歳とは思えぬ献身的な動きの裏には、悟飯に対する後ろめたさや自責の念もあった筈だ。
『僕の所為で、悟飯さんはこんな事になったんだ…』
———失血によるショックと細菌による高熱の最中、その声は、悲痛に満ちた震えと懺悔を懸命に抑えていた。ひょっとしたら彼はあの時、叫び出したいのを必死で堪えていたのやもしれない。
『かあさん、僕は…泣かないよ。今、僕が泣いたら…悟飯さんが困るから』
現実的に物事を捉え、最善の行動をとる。
けして喚いたり悲観的に振る舞わないのが、トランクスという少年だ。
…だから、置いていこうと決めた。
連れて行けない、と、悟飯はジャッジせざるを得なかった。
今度、自分が窮地に陥る事があれば、この少年は絶対に己の身を盾にしてでも悟飯を庇おうとする。もしくは…父親譲りの融通の利かない性格ゆえに、瀕死になったとしても撤退せず、最期までそれを貫き通すであろうというのも予想出来た。この子供はそういう子だ。
本当は連れて行きたい。本当に、キミの事を頼りにしているよ、信頼しているんだよ、と態度と行動で示してやれたらどれだけ良いだろう。しかしこれは生死と、人類の存亡を賭けた戦いである。
《もしキミまでいなくなってしまったら……人造人間と渡り合える戦士が完全に弊えてしまう……。この数年後、あいつらから平和を取り戻す事の出来る最後の『希望』が……》
自分の腕の中で気を失ったトランクスの小さな身体をそっと支え、それでも赤子だった頃に比べたら本当になんと逞しく成長した事か、と、実感する。
苛立ちをぶつけ八つ当たりをしてしまったりもした。小さく幼い彼に冷徹に振る舞って、うまく接していけなかった時期もあった。
なのにどんな時も彼は『悟飯さん』と呼び、慕ってくれた。大した事をしてやれていない、こんな自分だったのに…温もりと生きる気力を与えてくれた。もっと沢山与えたいものがあった筈なのに、いざ与えようとすれば何があったのかを忘れてしまって、気付けばトランクスがいつも悟飯を支えていてくれた。
《なぁトランクス。もしキミが過去の俺を見たらきっと驚くよ。俺、本当はとても…泣き虫で怖がりで…一人じゃ何処にも行けない甘えん坊でさ…ほんと困ったものだよね》
楽観的でありながら雄々しさを纏っていた、かつての父。
生き抜く強さを教えてくれた師父。
もしあの日、悟空と一緒にカメハウスに行かなければまた別の未来もあったのだろうが、今のこの自分が一番自分らしく己を燃やして羽撃いていると断言出来るし、また誇らしかった。
少なくとも…自分は、誰かを護れる力を持っているのだから。
空が哭き、都からまたひとつ大きな音と、煙を含んだ突風が押し寄せる。熱をはらんだそれは、火災が起こっている事実を知らせてくれた。
もう、行かなければ———悟飯は決意を固め、凛と澄んだ両目を都の中心部へと向け、頷く。トランクスを地面に横たえさせ微かに微笑むと、心の声で『また後でな』と呟いた。
父はもう、死んだ。導いてくれた師父も神も、かつての強敵も手の届かない場所へと逝ってしまった。
残されたのはこの身と荒廃した世界、絶対に倒さなくてはならぬ悪魔たち。
「……行くぞ!!」
生存者のあげる恐怖の悲鳴を辿り、悟飯は仲間達の仇と対峙すべく凶暴な嵐の吹き荒れる中心部へと突入する。
必ず生きて帰る。あの子の元へ。
「…ねぇ17号、此処はもう生き残っている人間は殆どいないよ。もっといっぱい人間がいるとこに行こうよ!」
西の都は、かつて地上最大の規模を誇る都市だった。
だが今やその人口は十数年前の1/50以下にまで減少しており、よもや『都』とは名ばかりの瓦礫と廃墟のジャングルであった。
人造人間の奇襲は過去数回にわたり何度かあったのだが、人々は地下シェルターを作りかろうじて難を逃れ生き延びていた。それは膨大な面積をもつこの都市ならではである。たとえ人造人間が奇襲をかけてきたとしても、ターゲットとなる『ヒト』はほぼゼロの筈であった。
しかし———運悪く、地上に顔を出していた住民数十名は、この残酷な双児の『退屈凌ぎ』によってほぼ全員、殺されていた。
「まぁそう焦るなよ18号。こういう風にジワジワなぶり殺すのが楽しいんじゃないか、もうちょっとじっくりやってこうぜ?」
「ちぇ……パーッとやっちゃえばいいのに」
『18号』と呼ばれた金髪の少女は呆れた風に舌打ちをすると、機関銃のごとく破壊を繰り広げる相方を眺め、此処はもう遊べないか…と落胆する。動いている標的も無ければ、服を入手する店も見当たらないのだから。
一方で、17号———黒髪の少年は執念深く、蟻の子一匹も逃さないと云った態でエネルギー弾を乱射し、瓦礫を更に細かな粒子へと粉砕し、隠れているであろう人間共を炙り出してやろうとやっきになっている。18号は溜息をついた。
今は青空が広がっているが、天候が崩れると耳にしている。残り少ない服が濡れてしまうのが、18号は嫌だった。早くケリをつけてくれないと困るのだ。17号はゲームに拘る所がある。そういうのがガキなのだ、と密かに思う18号は、背後の微かな生命反応を察知し、『それ』を打ち抜く。
「…だったら17号、アレやろうよ。逃げる奴等を車で轢き殺すやつ!」
無邪気な少女の声と同時———瓦礫にひとりの男がボトッと落下した。
地上に残った人間を消す、というゲームにさらさら興味を抱いていなかった18号の手柄を多少恨めしく感じたものの…17号は相方の意見に『それも悪くない』とひとり頷き、悦に入る。こうして無駄に気功弾を放ち続けるよりは、ジェットカーを乗り回す方が面白い。そして恐怖に逃げ惑う愚かな人間たちを見かけたら轢き潰す…なんともワクワクするゲームではないか、悪くない。
そうと決まれば、見栄えのする車を手に入れなければ———。
「…それもいいかも…っ…—————!?」
突如、真横から何者かに突き飛ばされた17号。
何事か、と顔を上げた18号が見たのは———。
「…孫 悟飯…?」
敵の呼びかけには応えず、黄金の戦士———孫 悟飯は静かに着地する。
そして、鋭い輝きを放つ翡翠色の目が18号を射抜いた。
殺した筈だった存在の登場に些か目を疑った18号だが、こうでないと面白くない、とまるで片割れのような考え方をしている己に気付く。そうとも、抵抗すらしない虫けらどもを排除していくだけでは物足りない。こうでなくては。
しかし、よく観察すると、相手の左腕が欠けている事に気付く。如何に戦闘民族の血をひいた男とはいえ、自分達人造人間の攻撃には耐えられなかったのか…と、彼女は落胆を覚えた。
…と、そこに瓦礫の中から17号が姿を現した。
長く伸びた黒髪を乱し、ボロボロとなったその出で立ちに18号はたまらず爆笑する。
「あははは…! 17号おっかしいや……アハハハハ…!!」
指をさされ嘲笑される側の17号は、片割れの少女の声には耳を貸さず、かわりに久方振りの『敵』の来訪に心躍らせる。
「…やっぱり生きていたか、孫 悟飯。それにしてもこの服をボロボロにされちゃムッとくるな。オレ達の身体と違って丈夫じゃないんでね、同じものはあと4着しかないんだぞ」
悟飯はこれには応じず、代わりに真横に回り込む18号を凝視する。
少女の形をした人造人間・18号は口角をニッと持ち上げ、悟飯へ告げる。
「孫 悟飯……今度は逃がしはしないよ。フルパワーで…殺す!」
最早お遊びはここまで。邪魔をするモノは排除するまでだ。
———敵と対峙する悟飯の心中は、残してきた弟子の存在で揺れていた。
どうかそのまま眠っていてくれ…けしてこっちへは来るな、と。
《俺…は…死なない…》
———今ここで果てる訳にはいかない!
「俺は死なない! たとえこの肉体が滅んでも、俺の意志を継ぐものが必ず立ち上がり…そして、お前たち人造人間を倒す…!!」
突き上げる感情のままに悟飯は叫び、全身の強化をはかる。
このままただ犬死にはしない。いや、死ねないのだ。
殺されたピッコロとクリリン、ベジータ…全ての仲間達の無念を終わらせる訳にはいかないのだ。宿願を果たさなくては、この自分が生き残った意味が無くなってしまう。
《おとうさん…ピッコロさん……どうか僕に力を……》
そして———あの子という『希望』を守り抜くだけの雄気を僕に授けてください。貴方がたが遺してくださった僕が生きてこられたたったひとつの証です。あの子はこの僕の世界そのものです。
《必ず、生きて帰るんだ…生きて、生き残って…もっと色々な事をあの子に教えてやるんだ》
———俺は、死ねない。
戦いの火蓋は切られた。
悟飯は、体内の『気』の二割を右手へ集中し、青白く光るそれを地表へと打ち放った。瞬く間に爆煙が吹き荒れ、彼と人造人間二体は同時に上空へと飛びたった。
《むっ、》
敵二体がエネルギー弾を発射してきたが、悟飯はすかさず『気』を練って周囲にシールドを作りあげるとそれらの攻撃を相殺した。
「えぃっ!!」
少女タイプの18号の攻撃が右側から入る。悟飯の右手がこれを止める。
しかし、
「うぉ…っ…!?」
失った左腕の空間に17号の打撃が加わり、悟飯はたまらず地面へと落下するが、追って放たれたレーザー状の攻撃をはね返し、そのまま勢いを止めずに彼等を撃ち落としてみせた。しかしこの程度でダメージをくうような相手ではない事は熟知していたので、悟飯は再び宙へと移動し、真上から確実に単体ずつ倒そうと決めた。
一対一であれば、現状の悟飯でも相手が出来る———ならば今が好機。
どちらかを必ず倒す。倒して、それから———。
悟飯の全ての思いを込めた気功弾が17号に向けて発射される。
だが、瓦礫の真上で気を失っているかのように見えた17号は不敵に口角を持ち上げ、悟飯の攻撃を弾き飛ばした。華奢な外見の少年ベースとはいえど、過去にベジータとピッコロを一撃で屠った敵である。この程度の攻撃でダウンする相手ではなかったのだ。
17号の右手からパワーボールが放たれたので急ぎそれを弾く悟飯だが、左頬に一撃をくらい、視界がぶれた。
《これしきの攻撃で倒れる相手ではなかったな…》
以前に比べ、遥かに不利な状況ではあると悟飯は知っていた。百も承知。失った部分を突いてくるであろう、と予想もしていた。
だが、先を見越して戦う方法を、この十数年で身に付けてきた悟飯にはまだ『勝機』はあった。
《この戦いで、どちらか一体を破壊してやる…!》
そうすれば、たとえ自分の身に何があろうとも、トランクスが必ずもう一体を倒す。要は二体同時のコンビネーションを崩せれば、悟飯とトランクス一人だけでも十分に対応出来るのだ。
速度を上げ、悟飯は虚空を舞った。それほどダメージを受けていなかった金髪の少女がこちらへと迫ってきていた。
だが、少女の後を追って上昇してきた17号へと気功弾を浴びせ再び墜落させてやると、悟飯は18号の片足を掴み、崩れかけたビル目掛け、少女の形した殺戮兵器を叩き付け、遥か真下へと落としてやった。
…ここまでしても多分、相手にダメージを与えられていないのは熟知していた悟飯は、険しい表情を崩さず、地上へと戻る。激しい乱闘の所為で砂煙が酷い。視界が白く染まってはいたが、悟飯の翡翠色の眼差しは真直ぐと、敵の落下地点へと向けられていた。
ガラガラ……と、音が鳴り、コトン、と石が落ちた。
崩れたコンクリートの中から土埃で薄汚れた敵ふたりが這い上がり、視線で悟飯を捉える。髪と服をぐしゃぐしゃにしてはいたが、苦しんでいる様子はない。先程までは17号の格好を笑い飛ばしていた18号もまた無惨なものであった。髪も服も汚れ、破けている。
だが———これまでのような軽口や不満を訴える動きは無く、冷たく整った貌は完全に氷と化していた。
この時、悟飯は未だ気付いていなかった。
相手が本気を出していなかった事。
暇潰しの一環として遊んでいただけの彼等を『本気』にさせてしまったという事実に———!
《まだいけるか…!?》
体内に残されているエネルギー残量は七割。フルで防御をはかり、二人同時の攻撃をどこかでリンクを切るようにすればいい。
そうしてどこかで単体となった敵を粉砕したい。好機を作りたい。
…トランクスの気配はあの崖から動いていないから、彼はまだ気を失っているのだろう。早く決着をつけ、戻らねば…。
悟飯は全身に力を込め、闘気を更に纏う。黄金色のオーラがぶわりと舞い上がると同時、バチバチ、と稲妻が迸った。
ゆらり、と立ち上がった17号が口元の血を拭う。
18号は、乱れた金髪を整え、ちらりと相方を見やった。
———深く澄んだ蒼天が、あっという間に鉛色の雲に覆われた。
ポツッ、ポツ、ポツ……サァァァァァ———。
突如、黒く染まった地面に水滴が一粒、また一粒と落ち、やがては銀の針となったそれが無数に降り注ぎ、廃墟となったビルから無数の滝が生まれた。ひび割れ、塗装の剥がれた公道には池のような水溜りができ、壊された車のテールランプを赤く弾く。
超化した悟飯の、金色の髪からも雫が一滴、また一滴と落ちていく。
睨み据えたままの人造人間たちにも豪雨は絶えず降り注ぐ。
人造人間ふたりが、目配せして同時に頷く。
《…くるのか!?》
大丈夫だ。たかが天候が崩れている程度、視界が悪いのは仕方がない。これまでも一人で戦い続けてきた。そう…相手を単体だけにして一気に攻めてしまえばそれ程のものではない筈だ…いける。
左右に並んだ17号と18号の姿が、ひとつとなる。
そして……悟飯に向けた進撃が開始された。
スピード、重さは、これまでと同じ。腕がたった一本しかなかろうと捌ききれる。少年と少女の姿が交互にぶれ、繰り出される拳を受け止め、弾き、悟飯は徐々に徐々にと後ろへ押されていく。
しかし妙だ。これまでと同じ…ではない気がした。本能的な部分が『ここままではまずい』と警告している。雨で視界が滲む。体温が奪われ、体内エネルギーがおよそ四割をきっているのが分かるのだ。
《早く移動しなくては…》
幾万の攻撃を相殺しつつ、悟飯は思った。片腕だけでこいつらの動きを防ぐのは考えていたよりずっと体力を消耗する。
例えば、狭い路地、もしくはビルの隙間にでも彼等をおびき寄せれば、一体ずつ相手にする事も可能であろう。
思案にくれていた悟飯の片足を、17号の足がすくいあげた。
たまらず悟飯は滑り、横転しそうになるのを堪え、身体を捻って逆走し、そのままビルの連なる細い隙間へと上昇した。これ程狭い空間、これなら背後から襲ってくる敵も同時には来れまい…。
しかし悟飯の読みは、甘かった。
《レーザー砲…!?》
咄嗟に身を縮め、土埃から目を守る悟飯。
そして若々しい少年と少女をベースとした人造人間たちは、互いの身体を限界ギリギリにまで密着させ、鋭いドリルにも似た姿勢で悟飯の脇腹を、蹴った。ひゅうっと呼吸が止まり、重力のまま墜落し、廃墟のドームに悟飯の全身は叩き付けられた。
上空から無数のパワーボールの雨を叩きつけられる。
視界は白い閃光で染められた。
圧倒的な質量に圧迫された臓器は機能停止した。
動かねば、此処から離れなくては離脱せねば…と、脳が命令する。
しかし動かない。動けないのだ。
眩しい。
感覚はゼロだ。痛みは無い。だけど薄れいく意識に本能的な恐れを覚え、悟飯は抗うように叫び、吠える。
…まだ戦える…!
まだ動ける! なのに自由がきかない———どうしてだ…。
まだ終われない。まだ終わっていない。
貴様らを消さないと先には進めない。とどめを刺すのは俺なんだ。
今までだって何度もこういう目に遭ったし、目覚めればきっとこれまで通りに新たな力が宿っている筈。俺はまだ戦える…!!
彼の体内を循環する血液の約九〇パーセントが蒸発した。
脳と全身を繋ぐバイパスがぶつっ、と断ち切れる音を彼は聞く。
そして———光は暗転し———闇が訪れた。
全てが、終わった。
「ん…、……」
一滴の雨が、少年を目覚めさせた。
トランクスは起き上がり周囲を見渡すが、其処に悟飯の姿は無い。
そして、気付く。避けては通れない真実と雨が、彼の体温を奪った。
先程、悟飯に修行をつけてもらっていた。そうしたら自分達の住む都に人造人間が奇襲をかけてきて……一人で飛び出そうとする悟飯を止め、共に戦おう、と提案したのだった。
なのにこれはなんだ。どうして己は此処にいる…そして、悟飯は…?
霧雨は徐々に勢いを増し、幾億の大粒の雫が肩口と髪を濡らす。それでもトランクスは呆然としたまま、悟飯に置き去りにされた事実に苛まれていた。
《僕は、置いてかれた…『一緒に戦おう』って、言ってくれたのに…》
悟飯はこの自分を騙した。トランクスに同意するふりをして…背後から手刀を浴びせたのだ。それは幾度となく困難を乗り越えてきた絆と信頼全てを断ち切ったも同然の行為だ。結局、悟飯は自分など必要としていなかったのだ…。
「…悟飯、さん…」
だが…目前にあるのは奇妙な静けさと、鉛色の雨雲。
都からは戦闘の気配すら感じとれない———。
と云う事は、悟飯は無事、人造人間たちを撃破したのだろうか…ならば合流せねばと、師の生命反応を感知しようとするトランクスだったが、この一帯全てに精神を集中させても一向に孫 悟飯の『気』を感じとれない。
「………え、」
そんな馬鹿な、と、もう一度精神集中させ目標を捉えようと試みるが、微弱な一般人の生命反応しか拾えない。あのあたたかい『気』は何処にもない。
「か…感じられない……悟飯さんの『気』が……!」
口にして、改めて己の吐き出した言葉の意味を察し、身震いする。
いたたまれなくなったトランクスは修行の地を後にし、上空から悟飯の姿を探した。もしかしたら戦闘で傷付き瀕死の重傷を負わされているのかもしれない。あまりに微弱な生命反応だから感知出来ないだけで、だったら直接目で探せばきっと悟飯の姿は見つかる筈だ。
大丈夫。悟飯は歴戦の強者だ。彼はこの十数年、人造人間とほぼ互角に戦い続けてきたのだから、やられる訳が無い。
大型の低気圧による豪雨は、視界を白くしぶかせた。
これによって探索は難航した。
叩き付ける雫は矢のように降り注ぎトランクスの全身をずぶ濡れにしていったが、不思議と冷たくはなかった。前髪から次々と滴っていくものが何度も何度も地面に吸い込まれていくのを、遠い意識の向こう側から他人事のように捉えている自分がいる。黒い闇の中、ごうごうと音をたて滝のごとく流れ出している雨水と、水捌けの悪い路上に大きく広がる水溜り…トランクスは何度も何度も都の上を滑空し、瓦礫とスプラッタの森の中からなんとか悟飯の姿を見つけ出そうと試みる。
《何処だ、何処にいるんだ悟飯さん……》
『この西の都っていうのは元々すごく大きくて栄えていた綺麗な街で、たくさんの人と店で賑わっていたんだ。ジュースやアイスを売っている店も、玩具を取り扱っている店だってそれはもう数えきれないぐらいあったよ』
———ふと、幼かった頃に聞かされた話を思い出す。
けれどそんなものはいらない。何も欲しくはないのだ。
バシャバシャとしぶく瓦礫は黒ずみ、壊れた乗用車の赤いテールランプがいやに目立った。トランクスは吸い込まれるように其処へ目線を合わせ、
心臓が止まった。
…何故、見つけてしまったのだろう。
あれ程までに探し求めていたというのに…今は…今は、逃げて何時までも知らぬ振りを通したい…そう心から願う。
違う…アレは、自分の探していたものじゃない…そんな訳がない!
「ご、はん、さん……?」
自分の目を通し、まるでモニタ越しのヴィジョンが広がる。
上空にいるトランクスの数十メートル真下に『ソレ』はあった。
ソレはカチカチと点滅する血のような光に照らされ、あたかも小さな池のごとく広がる水溜りの中、全体積のほぼ半分を沈め、静かに横たわっていた。
早く行かなくては、助けなくては、そうしたらきっと———と遠くか細い思考を張り巡らしはするが、トランクスの本能はその考えを『無駄』だとジャッジしていた。なるべく現実から遠ざかっていたかった。心の準備が出来なかった。
だから、歩をなるべく遅く進める。まだ、見たくはない……嫌だ……。
「悟飯……さん……」
一歩、また一歩、近付くにつれ、ソレの全容が明らかとなる。
よく出来たマネキンだと、手の込んだ冗談だと思いたかった。
なのに、その質感はどうあがいても『肉体』だったものだと、
不自然な形に折れ曲がった頸部が現実を突きつけているのだと、
知りたくもない残酷な『結果』が、漸く十三歳を迎えた少年を———砕いた。
「悟飯さん…悟飯さん…悟飯さんっ…ご、はん、さん…っ…」
囈言のように師の名を繰り返すトランクスの眼から次々と水滴が溢れ、雨水と共にぽたぽた、と地面へと落ちていく。さっきまではあんんなに煩いと思っていた雨の音さえ、遠い。
十数メートル先、かつて大通りとして使われていた道の中央。崩れたビルディングと車の残骸に囲まれ、悟飯は静かに横たわっていた。彼が纏っていた山吹色の道着は父親のそれを真似て拵えたものだったので、遠目にも間違えようがない。
トランクスは、駆ける。
見たくはないのに、いざ近付けば直視せずにはいられない。
悟飯は顔面半分を水溜りに浸からせ、ばしゃばしゃと豪雨を浴び、ぴくりとも動いていなかった。———その見開いたままの両眸は反射運動すらせず、容赦なく叩き付ける滝を無機質に受けとめていた。
「…っ…うそ、だ……」
そうだ。悟飯はきっと疲れているだけだ。
気を失っているなら早く起こしてあげよう。温かいシャワーを浴びてゆっくり休ませよう。そうしたらまたいつものように元気になって自分の名を呼ぶのだ。『トランクス』と。
ざぶざぶ、と彼の浸かっている水溜りに駆け寄り、トランクスは師の頭部を持ち上げた。濁り始めた眼球———僅かながらに漂う生物特有の臭い———カッと見開いた形相から察するに壮絶な闘いだったに違いない。これは悟飯の形をした肉塊に過ぎない。此処に悟飯はもう…。
…いや…嘘だ…。
嘘だ。そんな筈がない。
悟飯はずっと自分の傍にいてくれる。起き上がってくれる。
今はそう…きっと事情があって動けないだけだ…だって悟飯はずっと傍にいてくれた。父も、祖父母もいなくなってしまったけれど、悟飯だけはずっと自分を見守ってくれたのだ。だからこれは何かの間違いだ。嘘だ、うそだ、うそだ……。
「悟飯さん…ねぇ悟飯さん、起きてよ悟飯さん…!」
ぐにゃりと気持ち悪い感触に総毛立ったが、構わずトランクスは師の冷たい骸を抱きしめる。悟飯の髪、悟飯の首筋、失った左腕、よく撫でてくれた大きな掌…しかしそれらはトランクスの動きに合わせ、ぐらぐらと揺れるだけ。ぽっかり開いた虚ろな瞳孔と口元は弛緩し始めている。
どうして僕を置いていったんだ。
こうなると知っていながら、無謀な闘いに挑んだのか。
まだいっぱい知りたい事があった。
確かめたい想いもあった。もっと笑ってほしかった。
貴方は独りじゃないと教えたかったのに、どうして貴方はこうも意地を張ったんだ。どうして僕を待たなかった。
どうして。どうしてなんだ————。
「悟飯さんっ! 起きろよ悟飯さんっ!!」
僕は世界を救いたい訳じゃない…。
ただ、貴方が守ろうとするものを守ってあげたかっただけだ。
いつも遠い目をして、僕にはわからない『過去』にとらわれていて、そんな貴方を見ていると早く大人になってもっと強くなって、一緒に並んで励ましたり支えてあげたかった。ただそれだけだ。
死んだとうさんや仲間たちの事が悔しくない訳ではない。
でも、それを悔やんで悲しそうな顔をしているかあさんや悟飯さんを見ていると僕も悲しかったから強くなりたかっただけ。
人造人間たちが罪も無い人達をどんどん殺して、街を次々と壊していくのはとても苦しかったし歯痒かったけど、その度に傷付いて帰ってくる貴方を見たくなかったから、戦い方を教わりたいと言ったんだ。
なのにどうしてだよ…。
どうして僕を置き去りにしたんだよ、悟飯さん。
《違う…! それは僕が自惚れていたから…》
連れて行ってくれるだろう、と期待していたから気付けなかった。
もっと早く僕が強くなれていたなら、この人は片腕を失わずに済んだ。そうしたらこの闘いで悟飯さんは————生き残れたかもしれない。
《僕が……僕が、悟飯さんを…殺した……!》
少年は、己の浅はかさと傲慢に気付く。
あの日も、悟飯に分があった。彼は人造人間を凌ぐ戦力で圧倒していたのに、途中で自分が顔など出したから彼は防御に徹するしかなくなったのだ。もしあの日、自分が無理についていくような事さえなかったなら、悟飯は————!
自分の力量を見抜けていたなら、悟飯は片腕を失くさずにすんだ。
もっと強くなれていれば、悟飯は自分を置いていかなかった。
何故…何故まだ此処に自分がいるんだ。
どうしてこの人が死んだんだ。死んでいるんだ…!
「うわあぁぁぁぁ—————ッ……!!」
トランクスは天に向けて吠え、両手で己の髪をかきむしり、首を激しく振った。滂沱と流れる涙は豪雨に溶けていく。
そして、やりどころのない思いを震える拳に込め、爪がくい込む程に強く握る。皮膚が裂け、溢れ出した血は地面を紅く染めた。
突き上げる怒り、己への憤怒と憎悪は果てがなく、トランクスの血液を通して全身を駆け巡り、脊髄に電撃が迸った。脳が焼き切れてしまいそうだった。
助けられなかった…もう取り戻せない所へ悟飯は逝ってしまった。
なんの為に自分はいたのだ。
自分で自分が許せない…許せる訳がない…。こうなると分かっていながら、悟飯をたった独りで、こんな身体で闘いに挑ませてしまった無力な己が————憎い、憎い、引き裂いてしまいたい程それは数千の灼熱となって内側を組み替えていく————。
「わあぁぁぁぁぁ……アァ—————ッ!!」
突如、巻き起こった黄金の嵐が、上空を覆う鉛色の雲を吹き飛ばす。
トランクスは、己の内側から強大な闘気が噴出しているのを感じとりながらも、ただひたすら横たえたままの師の亡骸を見つめ続けた。自分に起こった変化も覚醒も全部、今はどうでも良かった。吹き荒れる風と、金色に揺れる前髪も眼中には、なかった。
指先がチリチリと痺れ、眉間から脳天が焼けきれそうに熱いのに、足元に地面を感じない。これが悪夢なら醒めてくれ、どうか目が醒めたならもう一度悟飯に声をかけてもらいたい、けして想いに気付かれなくてもいい、ただ…ただ、悟飯が生きていてくれたら、それだけで………。
うねり駆け巡る力の遣り所を見つけられず、トランクスは黒々と濡れたアスファルトを叩き、粉砕した。周辺全てに地割れができ、土煙が舞った。もう雨は降っていなかった。
雄々しく気高き金色の光を纏い、翡翠色の眼からは枯れる事のない涙を幾筋も流し、トランクスは何度も何度も地面を叩き、『悟飯だったモノ』を抱きしめ、叫び続けた。
地球の安寧など知りたくない。今は…世界の行く末など何も考えたくはない。
一番守りたかったひとが…もういない。
これから何を見出だして進めばいいのだ———それを教えてくれる者は、いない。
END.
というか全く腐要素無い上、むっちゃ暗いのでご注意を。
※テレビスペシャルを元に書き進めましたが、多少違う(※主に捏造)部分もございますので、ご了承ください。
トランクスの覚醒とそのきっかけとは…それではどうぞ下へお進みくだされ。
少年———トランクスはこの頃、とみに思う。
悟飯は以前よりも自分たちの傍にいてくれるようになった、と。
幼かった頃と同じように読み書きを教えてくれる時間が増えた。
「ほらトランクス、おいで。今日は炒め物の作り方を教えるよ」
ブルマの手が空かない時、悟飯は子供のような顔でちょいちょいとトランクスを手招きし、簡単な調理法を伝授したりもした。
確かに———件の戦闘で左腕部の三分の二を負傷し、失ってしまった彼はより慎重になっていたし、弟子である自分を育成する事に集中していた。無闇矢鱈に敵前に赴いたところで勝機はあり得ないのと、戦力を拮抗させるにはまずトランクスの覚醒が不可欠だったからである。
だがしかし…そういった状況下に置かれているにもかかわらず、寧ろ悟飯青年は、ごくさりげない日常の中にとけ込み、それを慈しみ愛しているかのようだった。少年の母・ブルマの真横で入力作業を手伝い、かたやその合間にこまごまとした家事を行っては、午後にはトランクスの鍛練に付き添う。
無論、鍛練とは名ばかりのものではあったのだが———。
「怒れ!! もっと怒るんだ…その怒りが超サイヤ人にする!!」
その怒号とも云える悟飯の指導に、トランクスはそれこそ脳が白く焼き切れそうになるまで己を引っ張り、怒りを最大限にまで高めようとするのだが———出来なかった。
都の郊外にある草原は今まさに、突風によって揺らいでいる。
その根源は、小柄な少年ただひとり。彼が呻き、全身に『闘気』を纏った瞬間、あたかも彼自身が台風の目となったかのように空間に衝撃波を放っていく。
青々とした草が千切れんばかりと揺らいでいく中、そんな少年を見守る悟飯の髪と武道着もまた激しく波打ち、ばたばたと音をたてた。しかし弟子を見守る彼の強い眼差しは瞬く事さえ忘れ、黒曜石のように煌めいていた。
ぶわり、と舞う熱気に突き上げられながらトランクスは、思う。
《怒る……僕が……怒る理由……》
人造人間さえ現れなければ、父・ベジータは今頃生きていられた。
そして母・ブルマもまた…現状のような暮らしを強いられず、マシンオイルに塗れ地下シェルターでひっそりとした研究に明け暮れずに済んだやもしれぬし、自分もまた……もっと違った生き方を選べたのだろう、それはなんとなく分かってはいた。
《確かに、僕は……僕は、自分達の世界をこんなにしたあいつらが憎い……でも……我を忘れる程の怒りって、それは……それは…!?》
問いかけるべき相手は、堅い眼差しでこの自分を射抜くのみ。
怒りを覚えなくてはならないというのなら…その対象は…?
《悟飯さんの、左腕、は……あいつら、が……!!》
だがそれは…仇敵どもから悟飯を守る事すら適わなかった己の未熟さ、それが最大の原因。誰よりも近くにいながら、彼をこんな目にあわせた、足手纏いになったという事実は拭えない…。トランクスは首を振り、違う、と呟いた。
《違う……僕が、ついていかなければ、悟飯さんは、あんな目に遭わなくてすんだ……あの腕は、僕の、僕の……せいだ…》
もし、悟飯を助けるというのであれば———彼を盾にするなどという事態を避ける為にも、自分は『超サイヤ人』として覚醒しなくてはならない。
吐き気を伴う程の憤りを擬似的に紡ぎあげ、トランクスはあの悪夢を、悟飯が左腕を失ってしまった件の日を脳裏に浮かべ、ぎりっと歯を食いしばった。
《早く、早く、早く…っ……僕は……変わらなく、ちゃ……》
どうしてあいつらを倒せないのだ。どうして……、
《悟飯さん…は……あいつらを、倒したいんだ……だから僕を必要としてくれている…っ…! 僕は…僕は、》
その期待に応えなくては……義務を果たさなくては……。
決意の果て
「くそっ…! どうして『超サイヤ人』になれないんだ…」
トランクスは近くにあった石を崖下へと投げる。
それをすぐ横で眺める悟飯はゆっくりと空を仰ぎ、草の香りを深く吸い込むと弟子へと向き直り、ニコリと微笑んだ。
「まぁ焦るなトランクス。俺だって随分苦労したさ」
いきなり『我を忘れろ』だなんて無理だよな…と無邪気な笑みを見せる悟飯の優しさがこたえる。彼だって本当は一刻も早く仲間達の仇討ちを果たしたい筈なのだ。その足を引っ張っているのは他ならぬ自分であって…。
「…まぁそんな顔ばかりするなよ。キミはやっぱりベジータさんの息子だね、そういう顔していると本当に、よく似ている…」
「僕のとうさん……サイヤ人の王子、だったんでしょ?」
確か悟飯に聞かされた話によると、ベジータと悟空———悟飯の父親にあたる———は好敵手だったという。その関係と決着は、悟空の発病によって断たれたのだが、皮肉にもその息子達は師弟として深く結ばれていた。
「僕がもっと強かったら…とうさんみたいだったら…悟飯さんをもっと助けられる筈なのにな…。どうして僕はこんななんだろ…」
唇を尖らせ呟くトランクスを横目に、悟飯はふっと目を細める。
それにしても、澄んだ青空だ。午後から大雨が降るとの予報ではあったが、とてもそんな風には見えない程に青く、静かだった。
住み慣れた西の都を一望出来る崖の上、二人は流れる雲を眺めた。
なだらかな地表に悟飯は寝そべり、艶やかな両目を空へ向ける。
「…俺はね…仲間達や、ピッコロさんが殺されていくのを思い出していく内にキレて…それで『超サイヤ人』になった。でも、キミにはそんな……」
「悟飯さん?」
「…ううん、なんでもない」
言いかけた言葉を飲み込み、悟飯は表現を変えてトランクスへと告げる。キミにはベジータさんの血が流れている、だから絶対に超サイヤ人になれるよ———と。
「僕のとうさんも、人造人間に殺されちゃったんですよね?」
悟空さんも病気で死んじゃったし…と、つい弱気になって吐き出した己の言葉を止め、トランクスは悟飯へと向き直る。しかし悟飯はトランクスを罵る、或いは叱咤するでもなく、ただ穏やかに微笑して少年の頭を撫でた。
「トランクス。命には必ず始まりと終わりがある。でもなぁ、だからこそ生きている間の過程が大切なんじゃないかなって、俺は思うよ。…少なくとも、おとうさんやベジータさんは…己の人生を信念のままに突き進んでいた。いきなりの終わりを良しとしてはいなかっただろうけれど、俺は、あのふたりのように強く、誇り高く生きられたら本望だ」
「…僕のとうさん……そんなに誇り高いひとだったの?」
「ああ、とてもね」
「どんな人なんだろ、僕のとうさんって。早く会ってみたいな…」
いずれは完成するであろうブルマのタイムマシンに乗る日を夢見て頬を紅潮させるトランクスに、悟飯はプッと吹き出した。まだ気が早いぞ、と言い出しそうになるのを堪え『無理もないか…』と、かつての強敵の面差しを思い返す。
ベジータが最期に妻と息子の存在を砂粒ほどでも顧みたかどうかは、知る由もない。悟飯の知る限り、少なくともそういう男ではなかった———だからこそ今からトランクスが父親に幻滅しないかどうかが心配ではあった。
それもタイムマシンが完成すれば、の話である。
横たえた身を起こし、悟飯はトランクスに休憩をとろうか、と提案する。
「その前に、一旦ブルマさんの所に戻って昼食とろうか。今日は買出しするって言ってたから、いつもより美味しいものが食べられると思う」
「ほんと!? うわぁやったぁ!!」
美味しいもの、という言葉に飛び上がって歓喜するトランクスに、悟飯はまたあたたかな感情を覚え、己の内側を密かに灼く憎悪の焔を忘れる。何時だって途絶える事のなかった復讐心———宿敵の面ふたつ。あれらを思い出すだけで幾度我を見失いそうになったか知れやしない。
だが、この少年の純粋さと優しさ、雄々しさが矢張り幾度となく悟飯を包みあたためてくれた。小さくか弱かった赤子だった頃からずっと、孤独だった自分を支えてくれていて…今やこうして肩を並べている。
熱の記憶と、繋ぎ合った感触。
強く炯々としたトランクスの眼差しに見守られ到達した瞬間を思い起こし、悟飯は微かに頬を染めた。あってはならない、いずれ忘れなくてはならないものだとしても…今だけは、自分の胸の内で秘めておきたい。彼が望んだものを与えただけ、たったそれだけの事である。
———ドォー……ン……!!
突如の地響き、奔る閃光。
二人は立ち上がり、目前に広がる光と爆煙を睨み据えた。距離はとても近い。住み慣れた『西の都』が、燃えていた。空は紅い。
「悟飯さん……あ、あれ……!?」
狼狽え叫ぶトランクスの肩に、悟飯の汗ばんだ右手が添えられる。信じ難い、と云いたげに震えたそれが事態を示していた。
黒髪の青年はぎりり、と歯を食いしばると低く掠れた声で「あいつら…」と、憎悪を吐き出す。そして、
「人造人間め……!! とうとう、この都にまで……!!」
連続で鳴り響く爆音と光に、トランクスの鼓動は限界近くにまで昇りつめ、脳天から指先が痺れて固まった。この目前の出来事は一体、なんなのだろう? 果たしてこれは本当に現実なのだろうか…と。
「————クス、…トランクス…!!」
おそらく何度も呼ばれていたであろう己の名、師匠の呼び掛けに漸く反応したトランクスが見たのは…黄金の闘気を纏った、隻腕の戦士だった。
悟飯は未だ戦っていない状態にもかかわらず、溢れ出る気迫と闘志、冴え冴えと光る眼差しは、狼狽える少年を圧倒させた。けれど…はためく片袖にどうしても一抹の不安は隠せない。確かに、悟飯の身体は回復している。しかし、以前とはもう違う。…万全とは云えないその状態で挑めば、悟飯は…!
「トランクス、キミは此処にいるんだ!!」
師・悟飯の命令にトランクスは「嫌です!!」と返す。
「悟飯さん…そんな身体じゃ…」
犬死にするつもりですか———と言えぬのは、他ならぬ己の所為だと悟っているが故。けれどたった一人で、しかも片腕しかない状態で何が出来ると云うのか。父・ベジータも、悟飯の師父であるピッコロだって、五体満足の状態で、数人がかりで挑んで次々と殺されたではないか。
「…悟飯さん、お願いです…! 僕も一緒に連れて行って下さい!! 二人なら必ずあいつらを倒せます!! 今度こそ足手纏いになりませんから…お願いします、悟飯さん…っ…!!」
「トランクス!! 人造人間を甘くみるな!!」
怒号と共に、悟飯の全身は目映い光に包まれ…彼は黄金の戦士と化した。周囲で鳴り響く轟音と爆撃の最中に佇むその姿は、壮絶なまでに美しい。
翡翠色に変化した悟飯の両眸が、トランクスを射抜く。それでも怯む事無く少年はもう一度「お願いします…」と哀願する。
「お願いですから悟飯さん、僕を連れて行って下さい…! もう、足手纏いにはなりません…僕も悟飯さんと一緒に戦いたいんです……!!」
「……トランクス……」
「………」
またひとつ、爆音が響く。二人は暫し睨み合い、またその存在を愛おしくも思った。どちらも相手を守りたいと願っていた。
悟飯は、険しい面持ちの中に僅かな穏やかさを取り戻すとややあって「…わかった」と、低く囁く。
「わかったよ、トランクス。…一緒に、行こう」
黄金の戦士、師匠の悟飯がふっと口角を持ち上げ優しく了承してくれた。トランクスはすっかり気を緩め「…はいっ、悟飯さん!」と、真正面の爆撃へと視線を戻した。
悟飯が自分を認めてくれた…一緒に戦いさえすれば今度こそ勝てるやもしれない。そうしたら母・ブルマに頼んで、二人乗りのタイムマシンを作ってもらい、悟飯と共に過去の世界に行くのだ。
「さあ、行きましょう悟飯さ…っ………ぐっ…?!」
首筋に熱い衝撃を感じたトランクスは、前のめりに倒れ、意識を失った。
《トランクス……すまない》
———弟子に手刀を浴びせた悟飯の真意。
それは全滅を免れる為でもあったのだが、トランクスという少年の性質と実力を考慮に入れた上での『裏切り』であった。
《キミはきっと、自分の身を盾にしてでも俺を守ろうとするだろう。そんな気がしたから…》
件の戦闘で、自分が左腕を失ったのは…何もトランクスが未熟だったからではない。確かに、悟飯は彼を庇いはしたが、それによって腕を失ったのは自分の鍛練不足もあっただろう。もし仮に庇護する対象がトランクスではなく一般市民であったのならば、事態はもっと最悪な方向へ向かっていた筈である。
ただ、トランクスは、あからさまな態度を見せる真似はしないものの、細かい気配りで自分の身の回りを世話してくれていたし、うまく結べない帯を縛り、解いてくれたり、箸で食べにくいものはスプーンやフォークを置いてくれるといった、およそ十三歳とは思えぬ献身的な動きの裏には、悟飯に対する後ろめたさや自責の念もあった筈だ。
『僕の所為で、悟飯さんはこんな事になったんだ…』
———失血によるショックと細菌による高熱の最中、その声は、悲痛に満ちた震えと懺悔を懸命に抑えていた。ひょっとしたら彼はあの時、叫び出したいのを必死で堪えていたのやもしれない。
『かあさん、僕は…泣かないよ。今、僕が泣いたら…悟飯さんが困るから』
現実的に物事を捉え、最善の行動をとる。
けして喚いたり悲観的に振る舞わないのが、トランクスという少年だ。
…だから、置いていこうと決めた。
連れて行けない、と、悟飯はジャッジせざるを得なかった。
今度、自分が窮地に陥る事があれば、この少年は絶対に己の身を盾にしてでも悟飯を庇おうとする。もしくは…父親譲りの融通の利かない性格ゆえに、瀕死になったとしても撤退せず、最期までそれを貫き通すであろうというのも予想出来た。この子供はそういう子だ。
本当は連れて行きたい。本当に、キミの事を頼りにしているよ、信頼しているんだよ、と態度と行動で示してやれたらどれだけ良いだろう。しかしこれは生死と、人類の存亡を賭けた戦いである。
《もしキミまでいなくなってしまったら……人造人間と渡り合える戦士が完全に弊えてしまう……。この数年後、あいつらから平和を取り戻す事の出来る最後の『希望』が……》
自分の腕の中で気を失ったトランクスの小さな身体をそっと支え、それでも赤子だった頃に比べたら本当になんと逞しく成長した事か、と、実感する。
苛立ちをぶつけ八つ当たりをしてしまったりもした。小さく幼い彼に冷徹に振る舞って、うまく接していけなかった時期もあった。
なのにどんな時も彼は『悟飯さん』と呼び、慕ってくれた。大した事をしてやれていない、こんな自分だったのに…温もりと生きる気力を与えてくれた。もっと沢山与えたいものがあった筈なのに、いざ与えようとすれば何があったのかを忘れてしまって、気付けばトランクスがいつも悟飯を支えていてくれた。
《なぁトランクス。もしキミが過去の俺を見たらきっと驚くよ。俺、本当はとても…泣き虫で怖がりで…一人じゃ何処にも行けない甘えん坊でさ…ほんと困ったものだよね》
楽観的でありながら雄々しさを纏っていた、かつての父。
生き抜く強さを教えてくれた師父。
もしあの日、悟空と一緒にカメハウスに行かなければまた別の未来もあったのだろうが、今のこの自分が一番自分らしく己を燃やして羽撃いていると断言出来るし、また誇らしかった。
少なくとも…自分は、誰かを護れる力を持っているのだから。
空が哭き、都からまたひとつ大きな音と、煙を含んだ突風が押し寄せる。熱をはらんだそれは、火災が起こっている事実を知らせてくれた。
もう、行かなければ———悟飯は決意を固め、凛と澄んだ両目を都の中心部へと向け、頷く。トランクスを地面に横たえさせ微かに微笑むと、心の声で『また後でな』と呟いた。
父はもう、死んだ。導いてくれた師父も神も、かつての強敵も手の届かない場所へと逝ってしまった。
残されたのはこの身と荒廃した世界、絶対に倒さなくてはならぬ悪魔たち。
「……行くぞ!!」
生存者のあげる恐怖の悲鳴を辿り、悟飯は仲間達の仇と対峙すべく凶暴な嵐の吹き荒れる中心部へと突入する。
必ず生きて帰る。あの子の元へ。
「…ねぇ17号、此処はもう生き残っている人間は殆どいないよ。もっといっぱい人間がいるとこに行こうよ!」
西の都は、かつて地上最大の規模を誇る都市だった。
だが今やその人口は十数年前の1/50以下にまで減少しており、よもや『都』とは名ばかりの瓦礫と廃墟のジャングルであった。
人造人間の奇襲は過去数回にわたり何度かあったのだが、人々は地下シェルターを作りかろうじて難を逃れ生き延びていた。それは膨大な面積をもつこの都市ならではである。たとえ人造人間が奇襲をかけてきたとしても、ターゲットとなる『ヒト』はほぼゼロの筈であった。
しかし———運悪く、地上に顔を出していた住民数十名は、この残酷な双児の『退屈凌ぎ』によってほぼ全員、殺されていた。
「まぁそう焦るなよ18号。こういう風にジワジワなぶり殺すのが楽しいんじゃないか、もうちょっとじっくりやってこうぜ?」
「ちぇ……パーッとやっちゃえばいいのに」
『18号』と呼ばれた金髪の少女は呆れた風に舌打ちをすると、機関銃のごとく破壊を繰り広げる相方を眺め、此処はもう遊べないか…と落胆する。動いている標的も無ければ、服を入手する店も見当たらないのだから。
一方で、17号———黒髪の少年は執念深く、蟻の子一匹も逃さないと云った態でエネルギー弾を乱射し、瓦礫を更に細かな粒子へと粉砕し、隠れているであろう人間共を炙り出してやろうとやっきになっている。18号は溜息をついた。
今は青空が広がっているが、天候が崩れると耳にしている。残り少ない服が濡れてしまうのが、18号は嫌だった。早くケリをつけてくれないと困るのだ。17号はゲームに拘る所がある。そういうのがガキなのだ、と密かに思う18号は、背後の微かな生命反応を察知し、『それ』を打ち抜く。
「…だったら17号、アレやろうよ。逃げる奴等を車で轢き殺すやつ!」
無邪気な少女の声と同時———瓦礫にひとりの男がボトッと落下した。
地上に残った人間を消す、というゲームにさらさら興味を抱いていなかった18号の手柄を多少恨めしく感じたものの…17号は相方の意見に『それも悪くない』とひとり頷き、悦に入る。こうして無駄に気功弾を放ち続けるよりは、ジェットカーを乗り回す方が面白い。そして恐怖に逃げ惑う愚かな人間たちを見かけたら轢き潰す…なんともワクワクするゲームではないか、悪くない。
そうと決まれば、見栄えのする車を手に入れなければ———。
「…それもいいかも…っ…—————!?」
突如、真横から何者かに突き飛ばされた17号。
何事か、と顔を上げた18号が見たのは———。
「…孫 悟飯…?」
敵の呼びかけには応えず、黄金の戦士———孫 悟飯は静かに着地する。
そして、鋭い輝きを放つ翡翠色の目が18号を射抜いた。
殺した筈だった存在の登場に些か目を疑った18号だが、こうでないと面白くない、とまるで片割れのような考え方をしている己に気付く。そうとも、抵抗すらしない虫けらどもを排除していくだけでは物足りない。こうでなくては。
しかし、よく観察すると、相手の左腕が欠けている事に気付く。如何に戦闘民族の血をひいた男とはいえ、自分達人造人間の攻撃には耐えられなかったのか…と、彼女は落胆を覚えた。
…と、そこに瓦礫の中から17号が姿を現した。
長く伸びた黒髪を乱し、ボロボロとなったその出で立ちに18号はたまらず爆笑する。
「あははは…! 17号おっかしいや……アハハハハ…!!」
指をさされ嘲笑される側の17号は、片割れの少女の声には耳を貸さず、かわりに久方振りの『敵』の来訪に心躍らせる。
「…やっぱり生きていたか、孫 悟飯。それにしてもこの服をボロボロにされちゃムッとくるな。オレ達の身体と違って丈夫じゃないんでね、同じものはあと4着しかないんだぞ」
悟飯はこれには応じず、代わりに真横に回り込む18号を凝視する。
少女の形をした人造人間・18号は口角をニッと持ち上げ、悟飯へ告げる。
「孫 悟飯……今度は逃がしはしないよ。フルパワーで…殺す!」
最早お遊びはここまで。邪魔をするモノは排除するまでだ。
———敵と対峙する悟飯の心中は、残してきた弟子の存在で揺れていた。
どうかそのまま眠っていてくれ…けしてこっちへは来るな、と。
《俺…は…死なない…》
———今ここで果てる訳にはいかない!
「俺は死なない! たとえこの肉体が滅んでも、俺の意志を継ぐものが必ず立ち上がり…そして、お前たち人造人間を倒す…!!」
突き上げる感情のままに悟飯は叫び、全身の強化をはかる。
このままただ犬死にはしない。いや、死ねないのだ。
殺されたピッコロとクリリン、ベジータ…全ての仲間達の無念を終わらせる訳にはいかないのだ。宿願を果たさなくては、この自分が生き残った意味が無くなってしまう。
《おとうさん…ピッコロさん……どうか僕に力を……》
そして———あの子という『希望』を守り抜くだけの雄気を僕に授けてください。貴方がたが遺してくださった僕が生きてこられたたったひとつの証です。あの子はこの僕の世界そのものです。
《必ず、生きて帰るんだ…生きて、生き残って…もっと色々な事をあの子に教えてやるんだ》
———俺は、死ねない。
戦いの火蓋は切られた。
悟飯は、体内の『気』の二割を右手へ集中し、青白く光るそれを地表へと打ち放った。瞬く間に爆煙が吹き荒れ、彼と人造人間二体は同時に上空へと飛びたった。
《むっ、》
敵二体がエネルギー弾を発射してきたが、悟飯はすかさず『気』を練って周囲にシールドを作りあげるとそれらの攻撃を相殺した。
「えぃっ!!」
少女タイプの18号の攻撃が右側から入る。悟飯の右手がこれを止める。
しかし、
「うぉ…っ…!?」
失った左腕の空間に17号の打撃が加わり、悟飯はたまらず地面へと落下するが、追って放たれたレーザー状の攻撃をはね返し、そのまま勢いを止めずに彼等を撃ち落としてみせた。しかしこの程度でダメージをくうような相手ではない事は熟知していたので、悟飯は再び宙へと移動し、真上から確実に単体ずつ倒そうと決めた。
一対一であれば、現状の悟飯でも相手が出来る———ならば今が好機。
どちらかを必ず倒す。倒して、それから———。
悟飯の全ての思いを込めた気功弾が17号に向けて発射される。
だが、瓦礫の真上で気を失っているかのように見えた17号は不敵に口角を持ち上げ、悟飯の攻撃を弾き飛ばした。華奢な外見の少年ベースとはいえど、過去にベジータとピッコロを一撃で屠った敵である。この程度の攻撃でダウンする相手ではなかったのだ。
17号の右手からパワーボールが放たれたので急ぎそれを弾く悟飯だが、左頬に一撃をくらい、視界がぶれた。
《これしきの攻撃で倒れる相手ではなかったな…》
以前に比べ、遥かに不利な状況ではあると悟飯は知っていた。百も承知。失った部分を突いてくるであろう、と予想もしていた。
だが、先を見越して戦う方法を、この十数年で身に付けてきた悟飯にはまだ『勝機』はあった。
《この戦いで、どちらか一体を破壊してやる…!》
そうすれば、たとえ自分の身に何があろうとも、トランクスが必ずもう一体を倒す。要は二体同時のコンビネーションを崩せれば、悟飯とトランクス一人だけでも十分に対応出来るのだ。
速度を上げ、悟飯は虚空を舞った。それほどダメージを受けていなかった金髪の少女がこちらへと迫ってきていた。
だが、少女の後を追って上昇してきた17号へと気功弾を浴びせ再び墜落させてやると、悟飯は18号の片足を掴み、崩れかけたビル目掛け、少女の形した殺戮兵器を叩き付け、遥か真下へと落としてやった。
…ここまでしても多分、相手にダメージを与えられていないのは熟知していた悟飯は、険しい表情を崩さず、地上へと戻る。激しい乱闘の所為で砂煙が酷い。視界が白く染まってはいたが、悟飯の翡翠色の眼差しは真直ぐと、敵の落下地点へと向けられていた。
ガラガラ……と、音が鳴り、コトン、と石が落ちた。
崩れたコンクリートの中から土埃で薄汚れた敵ふたりが這い上がり、視線で悟飯を捉える。髪と服をぐしゃぐしゃにしてはいたが、苦しんでいる様子はない。先程までは17号の格好を笑い飛ばしていた18号もまた無惨なものであった。髪も服も汚れ、破けている。
だが———これまでのような軽口や不満を訴える動きは無く、冷たく整った貌は完全に氷と化していた。
この時、悟飯は未だ気付いていなかった。
相手が本気を出していなかった事。
暇潰しの一環として遊んでいただけの彼等を『本気』にさせてしまったという事実に———!
《まだいけるか…!?》
体内に残されているエネルギー残量は七割。フルで防御をはかり、二人同時の攻撃をどこかでリンクを切るようにすればいい。
そうしてどこかで単体となった敵を粉砕したい。好機を作りたい。
…トランクスの気配はあの崖から動いていないから、彼はまだ気を失っているのだろう。早く決着をつけ、戻らねば…。
悟飯は全身に力を込め、闘気を更に纏う。黄金色のオーラがぶわりと舞い上がると同時、バチバチ、と稲妻が迸った。
ゆらり、と立ち上がった17号が口元の血を拭う。
18号は、乱れた金髪を整え、ちらりと相方を見やった。
———深く澄んだ蒼天が、あっという間に鉛色の雲に覆われた。
ポツッ、ポツ、ポツ……サァァァァァ———。
突如、黒く染まった地面に水滴が一粒、また一粒と落ち、やがては銀の針となったそれが無数に降り注ぎ、廃墟となったビルから無数の滝が生まれた。ひび割れ、塗装の剥がれた公道には池のような水溜りができ、壊された車のテールランプを赤く弾く。
超化した悟飯の、金色の髪からも雫が一滴、また一滴と落ちていく。
睨み据えたままの人造人間たちにも豪雨は絶えず降り注ぐ。
人造人間ふたりが、目配せして同時に頷く。
《…くるのか!?》
大丈夫だ。たかが天候が崩れている程度、視界が悪いのは仕方がない。これまでも一人で戦い続けてきた。そう…相手を単体だけにして一気に攻めてしまえばそれ程のものではない筈だ…いける。
左右に並んだ17号と18号の姿が、ひとつとなる。
そして……悟飯に向けた進撃が開始された。
スピード、重さは、これまでと同じ。腕がたった一本しかなかろうと捌ききれる。少年と少女の姿が交互にぶれ、繰り出される拳を受け止め、弾き、悟飯は徐々に徐々にと後ろへ押されていく。
しかし妙だ。これまでと同じ…ではない気がした。本能的な部分が『ここままではまずい』と警告している。雨で視界が滲む。体温が奪われ、体内エネルギーがおよそ四割をきっているのが分かるのだ。
《早く移動しなくては…》
幾万の攻撃を相殺しつつ、悟飯は思った。片腕だけでこいつらの動きを防ぐのは考えていたよりずっと体力を消耗する。
例えば、狭い路地、もしくはビルの隙間にでも彼等をおびき寄せれば、一体ずつ相手にする事も可能であろう。
思案にくれていた悟飯の片足を、17号の足がすくいあげた。
たまらず悟飯は滑り、横転しそうになるのを堪え、身体を捻って逆走し、そのままビルの連なる細い隙間へと上昇した。これ程狭い空間、これなら背後から襲ってくる敵も同時には来れまい…。
しかし悟飯の読みは、甘かった。
《レーザー砲…!?》
咄嗟に身を縮め、土埃から目を守る悟飯。
そして若々しい少年と少女をベースとした人造人間たちは、互いの身体を限界ギリギリにまで密着させ、鋭いドリルにも似た姿勢で悟飯の脇腹を、蹴った。ひゅうっと呼吸が止まり、重力のまま墜落し、廃墟のドームに悟飯の全身は叩き付けられた。
上空から無数のパワーボールの雨を叩きつけられる。
視界は白い閃光で染められた。
圧倒的な質量に圧迫された臓器は機能停止した。
動かねば、此処から離れなくては離脱せねば…と、脳が命令する。
しかし動かない。動けないのだ。
眩しい。
感覚はゼロだ。痛みは無い。だけど薄れいく意識に本能的な恐れを覚え、悟飯は抗うように叫び、吠える。
…まだ戦える…!
まだ動ける! なのに自由がきかない———どうしてだ…。
まだ終われない。まだ終わっていない。
貴様らを消さないと先には進めない。とどめを刺すのは俺なんだ。
今までだって何度もこういう目に遭ったし、目覚めればきっとこれまで通りに新たな力が宿っている筈。俺はまだ戦える…!!
彼の体内を循環する血液の約九〇パーセントが蒸発した。
脳と全身を繋ぐバイパスがぶつっ、と断ち切れる音を彼は聞く。
そして———光は暗転し———闇が訪れた。
全てが、終わった。
「ん…、……」
一滴の雨が、少年を目覚めさせた。
トランクスは起き上がり周囲を見渡すが、其処に悟飯の姿は無い。
そして、気付く。避けては通れない真実と雨が、彼の体温を奪った。
先程、悟飯に修行をつけてもらっていた。そうしたら自分達の住む都に人造人間が奇襲をかけてきて……一人で飛び出そうとする悟飯を止め、共に戦おう、と提案したのだった。
なのにこれはなんだ。どうして己は此処にいる…そして、悟飯は…?
霧雨は徐々に勢いを増し、幾億の大粒の雫が肩口と髪を濡らす。それでもトランクスは呆然としたまま、悟飯に置き去りにされた事実に苛まれていた。
《僕は、置いてかれた…『一緒に戦おう』って、言ってくれたのに…》
悟飯はこの自分を騙した。トランクスに同意するふりをして…背後から手刀を浴びせたのだ。それは幾度となく困難を乗り越えてきた絆と信頼全てを断ち切ったも同然の行為だ。結局、悟飯は自分など必要としていなかったのだ…。
「…悟飯、さん…」
だが…目前にあるのは奇妙な静けさと、鉛色の雨雲。
都からは戦闘の気配すら感じとれない———。
と云う事は、悟飯は無事、人造人間たちを撃破したのだろうか…ならば合流せねばと、師の生命反応を感知しようとするトランクスだったが、この一帯全てに精神を集中させても一向に孫 悟飯の『気』を感じとれない。
「………え、」
そんな馬鹿な、と、もう一度精神集中させ目標を捉えようと試みるが、微弱な一般人の生命反応しか拾えない。あのあたたかい『気』は何処にもない。
「か…感じられない……悟飯さんの『気』が……!」
口にして、改めて己の吐き出した言葉の意味を察し、身震いする。
いたたまれなくなったトランクスは修行の地を後にし、上空から悟飯の姿を探した。もしかしたら戦闘で傷付き瀕死の重傷を負わされているのかもしれない。あまりに微弱な生命反応だから感知出来ないだけで、だったら直接目で探せばきっと悟飯の姿は見つかる筈だ。
大丈夫。悟飯は歴戦の強者だ。彼はこの十数年、人造人間とほぼ互角に戦い続けてきたのだから、やられる訳が無い。
大型の低気圧による豪雨は、視界を白くしぶかせた。
これによって探索は難航した。
叩き付ける雫は矢のように降り注ぎトランクスの全身をずぶ濡れにしていったが、不思議と冷たくはなかった。前髪から次々と滴っていくものが何度も何度も地面に吸い込まれていくのを、遠い意識の向こう側から他人事のように捉えている自分がいる。黒い闇の中、ごうごうと音をたて滝のごとく流れ出している雨水と、水捌けの悪い路上に大きく広がる水溜り…トランクスは何度も何度も都の上を滑空し、瓦礫とスプラッタの森の中からなんとか悟飯の姿を見つけ出そうと試みる。
《何処だ、何処にいるんだ悟飯さん……》
『この西の都っていうのは元々すごく大きくて栄えていた綺麗な街で、たくさんの人と店で賑わっていたんだ。ジュースやアイスを売っている店も、玩具を取り扱っている店だってそれはもう数えきれないぐらいあったよ』
———ふと、幼かった頃に聞かされた話を思い出す。
けれどそんなものはいらない。何も欲しくはないのだ。
バシャバシャとしぶく瓦礫は黒ずみ、壊れた乗用車の赤いテールランプがいやに目立った。トランクスは吸い込まれるように其処へ目線を合わせ、
心臓が止まった。
…何故、見つけてしまったのだろう。
あれ程までに探し求めていたというのに…今は…今は、逃げて何時までも知らぬ振りを通したい…そう心から願う。
違う…アレは、自分の探していたものじゃない…そんな訳がない!
「ご、はん、さん……?」
自分の目を通し、まるでモニタ越しのヴィジョンが広がる。
上空にいるトランクスの数十メートル真下に『ソレ』はあった。
ソレはカチカチと点滅する血のような光に照らされ、あたかも小さな池のごとく広がる水溜りの中、全体積のほぼ半分を沈め、静かに横たわっていた。
早く行かなくては、助けなくては、そうしたらきっと———と遠くか細い思考を張り巡らしはするが、トランクスの本能はその考えを『無駄』だとジャッジしていた。なるべく現実から遠ざかっていたかった。心の準備が出来なかった。
だから、歩をなるべく遅く進める。まだ、見たくはない……嫌だ……。
「悟飯……さん……」
一歩、また一歩、近付くにつれ、ソレの全容が明らかとなる。
よく出来たマネキンだと、手の込んだ冗談だと思いたかった。
なのに、その質感はどうあがいても『肉体』だったものだと、
不自然な形に折れ曲がった頸部が現実を突きつけているのだと、
知りたくもない残酷な『結果』が、漸く十三歳を迎えた少年を———砕いた。
「悟飯さん…悟飯さん…悟飯さんっ…ご、はん、さん…っ…」
囈言のように師の名を繰り返すトランクスの眼から次々と水滴が溢れ、雨水と共にぽたぽた、と地面へと落ちていく。さっきまではあんんなに煩いと思っていた雨の音さえ、遠い。
十数メートル先、かつて大通りとして使われていた道の中央。崩れたビルディングと車の残骸に囲まれ、悟飯は静かに横たわっていた。彼が纏っていた山吹色の道着は父親のそれを真似て拵えたものだったので、遠目にも間違えようがない。
トランクスは、駆ける。
見たくはないのに、いざ近付けば直視せずにはいられない。
悟飯は顔面半分を水溜りに浸からせ、ばしゃばしゃと豪雨を浴び、ぴくりとも動いていなかった。———その見開いたままの両眸は反射運動すらせず、容赦なく叩き付ける滝を無機質に受けとめていた。
「…っ…うそ、だ……」
そうだ。悟飯はきっと疲れているだけだ。
気を失っているなら早く起こしてあげよう。温かいシャワーを浴びてゆっくり休ませよう。そうしたらまたいつものように元気になって自分の名を呼ぶのだ。『トランクス』と。
ざぶざぶ、と彼の浸かっている水溜りに駆け寄り、トランクスは師の頭部を持ち上げた。濁り始めた眼球———僅かながらに漂う生物特有の臭い———カッと見開いた形相から察するに壮絶な闘いだったに違いない。これは悟飯の形をした肉塊に過ぎない。此処に悟飯はもう…。
…いや…嘘だ…。
嘘だ。そんな筈がない。
悟飯はずっと自分の傍にいてくれる。起き上がってくれる。
今はそう…きっと事情があって動けないだけだ…だって悟飯はずっと傍にいてくれた。父も、祖父母もいなくなってしまったけれど、悟飯だけはずっと自分を見守ってくれたのだ。だからこれは何かの間違いだ。嘘だ、うそだ、うそだ……。
「悟飯さん…ねぇ悟飯さん、起きてよ悟飯さん…!」
ぐにゃりと気持ち悪い感触に総毛立ったが、構わずトランクスは師の冷たい骸を抱きしめる。悟飯の髪、悟飯の首筋、失った左腕、よく撫でてくれた大きな掌…しかしそれらはトランクスの動きに合わせ、ぐらぐらと揺れるだけ。ぽっかり開いた虚ろな瞳孔と口元は弛緩し始めている。
どうして僕を置いていったんだ。
こうなると知っていながら、無謀な闘いに挑んだのか。
まだいっぱい知りたい事があった。
確かめたい想いもあった。もっと笑ってほしかった。
貴方は独りじゃないと教えたかったのに、どうして貴方はこうも意地を張ったんだ。どうして僕を待たなかった。
どうして。どうしてなんだ————。
「悟飯さんっ! 起きろよ悟飯さんっ!!」
僕は世界を救いたい訳じゃない…。
ただ、貴方が守ろうとするものを守ってあげたかっただけだ。
いつも遠い目をして、僕にはわからない『過去』にとらわれていて、そんな貴方を見ていると早く大人になってもっと強くなって、一緒に並んで励ましたり支えてあげたかった。ただそれだけだ。
死んだとうさんや仲間たちの事が悔しくない訳ではない。
でも、それを悔やんで悲しそうな顔をしているかあさんや悟飯さんを見ていると僕も悲しかったから強くなりたかっただけ。
人造人間たちが罪も無い人達をどんどん殺して、街を次々と壊していくのはとても苦しかったし歯痒かったけど、その度に傷付いて帰ってくる貴方を見たくなかったから、戦い方を教わりたいと言ったんだ。
なのにどうしてだよ…。
どうして僕を置き去りにしたんだよ、悟飯さん。
《違う…! それは僕が自惚れていたから…》
連れて行ってくれるだろう、と期待していたから気付けなかった。
もっと早く僕が強くなれていたなら、この人は片腕を失わずに済んだ。そうしたらこの闘いで悟飯さんは————生き残れたかもしれない。
《僕が……僕が、悟飯さんを…殺した……!》
少年は、己の浅はかさと傲慢に気付く。
あの日も、悟飯に分があった。彼は人造人間を凌ぐ戦力で圧倒していたのに、途中で自分が顔など出したから彼は防御に徹するしかなくなったのだ。もしあの日、自分が無理についていくような事さえなかったなら、悟飯は————!
自分の力量を見抜けていたなら、悟飯は片腕を失くさずにすんだ。
もっと強くなれていれば、悟飯は自分を置いていかなかった。
何故…何故まだ此処に自分がいるんだ。
どうしてこの人が死んだんだ。死んでいるんだ…!
「うわあぁぁぁぁ—————ッ……!!」
トランクスは天に向けて吠え、両手で己の髪をかきむしり、首を激しく振った。滂沱と流れる涙は豪雨に溶けていく。
そして、やりどころのない思いを震える拳に込め、爪がくい込む程に強く握る。皮膚が裂け、溢れ出した血は地面を紅く染めた。
突き上げる怒り、己への憤怒と憎悪は果てがなく、トランクスの血液を通して全身を駆け巡り、脊髄に電撃が迸った。脳が焼き切れてしまいそうだった。
助けられなかった…もう取り戻せない所へ悟飯は逝ってしまった。
なんの為に自分はいたのだ。
自分で自分が許せない…許せる訳がない…。こうなると分かっていながら、悟飯をたった独りで、こんな身体で闘いに挑ませてしまった無力な己が————憎い、憎い、引き裂いてしまいたい程それは数千の灼熱となって内側を組み替えていく————。
「わあぁぁぁぁぁ……アァ—————ッ!!」
突如、巻き起こった黄金の嵐が、上空を覆う鉛色の雲を吹き飛ばす。
トランクスは、己の内側から強大な闘気が噴出しているのを感じとりながらも、ただひたすら横たえたままの師の亡骸を見つめ続けた。自分に起こった変化も覚醒も全部、今はどうでも良かった。吹き荒れる風と、金色に揺れる前髪も眼中には、なかった。
指先がチリチリと痺れ、眉間から脳天が焼けきれそうに熱いのに、足元に地面を感じない。これが悪夢なら醒めてくれ、どうか目が醒めたならもう一度悟飯に声をかけてもらいたい、けして想いに気付かれなくてもいい、ただ…ただ、悟飯が生きていてくれたら、それだけで………。
うねり駆け巡る力の遣り所を見つけられず、トランクスは黒々と濡れたアスファルトを叩き、粉砕した。周辺全てに地割れができ、土煙が舞った。もう雨は降っていなかった。
雄々しく気高き金色の光を纏い、翡翠色の眼からは枯れる事のない涙を幾筋も流し、トランクスは何度も何度も地面を叩き、『悟飯だったモノ』を抱きしめ、叫び続けた。
地球の安寧など知りたくない。今は…世界の行く末など何も考えたくはない。
一番守りたかったひとが…もういない。
これから何を見出だして進めばいいのだ———それを教えてくれる者は、いない。
END.
by synthetia
| 2016-03-19 17:12
| (主にトラ×飯)駄文
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